日本のこころのうたミュージアム・船村徹記念館施設貸出について

日光市にゆかりのある作曲家船村徹氏の作品ほか、日光の自然・文化遺産を大迫力の映像で体感できる3Dシアター、日光連山が望めるビューポイントなど、見どころ盛り沢山です。 ミュージアムショップでは、日光街道ニコニコ本陣や船村徹にちなんだオリジナルグッズや、日光ゆかりの品を販売中。どなたでもお気軽にお立ち寄りください。

1F

エントランス

夢劇場

美しい日光市の大自然と船村徹ゆかりの歌手たちを、大迫力の飛び出す最新3Dグラフィックと名曲のメロディに乗せて皆様のもとへお届けします。≪3Dグラス着用≫

企画展示コーナー[観覧無料]

日本の音楽、日光の音楽を支える人々の活動を季節と共に音と映像で紹介します。
その他日光近郊で行われるイベントの情報発信地として皆様からの情報もお待ちしております。

ミュージアムショップ

オリジナル記念グッズや日光のお土産品などを販売します。

エントランス
ミュージアムショップ

2F

お出迎え、5大歌手

おなじみの五大歌手と作曲家船村徹のエピソード&メッセージシアター。

歌の万華鏡

大ヒット曲にまつわるエピソードから作品すべてを5面マルチの映像で万華鏡のようにご紹介。

名曲500曲+(プラス)

長く愛され続けている船村メロディーより珠玉の作品をセレクト。自由にお聞きいただけます。

船村徹 人生と仕事

「船村徹 人生と仕事」では、船村氏の生い立ちからの人生を膨大な資料と実績の顕彰とともに紹介するほか、貴重な音源の視聴や、様々な映像を駆使した船村作品の数々に触れていただけます。

思い出のあの歌この歌

あの日あの時の歌、よみがえる「思い出」レコードジャケット600余枚で綴る青春グラフィティ。

 

3F

歌道場Ⅰ(貸しスペースA)

カラオケコーナー(1曲/100円)の他、オリジナルバンド演奏を背景に、ステージで歌うあなたをDVDにすることもできます(1枚/1080円)

施設貸出について

歌道場Ⅱ・歌道場Ⅲ(貸しスペースB・C)

カラオケコーナー(1曲/100円)

施設貸出について

光と風のギャラリー

縁の深い歌手等の手形展示と交流・休憩のエリア

演歌巡礼

深く静かに、時に饒舌に仕事と人生、歌謡界から世相を語る船村徹の放談・対談映像

日光連山眺望カウンター

ふるさと栃木の象徴である日光連山を大パノラマで展望できるカウンタースペース。悠久の時を感じながらゆったりとした時間をお過ごしください。

日光連山眺望カウンター

ご利用案内

      開館時間午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

 

      ※1階企画展示コーナー及び3階貸スペースは午前9時から午後9時まで休館日毎週火曜日(祝日の場合その翌日)、12月29日から翌年1月3日まで入館料
個人 大人 540円
小・中・高校生 320円
団体
15名以上
大人 430円
小・中・高校生 210円
年間定期入場券 大人 2,160円
小・中・高校生 1,280円

※料金は消費税8%込
※高校生は入場時に学生証などをご提示ください。

歌道場利用料

9:00~17:00 入館料のみ
17:00~21:00 1,080円(消費税8%込)/1部屋

※料金は消費税8%込
※歌道場利用料とは別にカラオケ利用時は1曲100円、DVD製作時には1回1,080円がかかります。

館内では飲食・喫煙・ペットの連れ込み(補助犬を除く)・展示物(映像音声等含)の写真動画等による撮影録音はご遠慮ください。(3階では同フロア設置の自販機による飲料のみご利用いただけます)

フロアマップ

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船村徹プロフィール

大ヒット曲「別れの一本杉」は、船村徹が23才の時の作品。作詞した高野公男は2才年上の25才だった。船村は当時、銀座の流しをして歌い、キャバレーのバンドマスターもしていた。昨今のシンガーソングライターの“はしり”だったろうか。
高野は大ヒットの翌年、昭和31年9月8日に26才の若さで亡くなる。船村は24才だった。その日以降、日本の作曲界を代表する今日まで、彼は高野の意思を歌づくりの中心に置き続けている。
「二人の出会いから別れまでは、わずか7年でしかない。しかし、その7年が私の原点であり、全てのような気がする。高野は今でも、私の中で生きている」「高野の無念を思えば、私は彼の分まで生き、二人で誓い合った夢に向かって、歌を書き続けることが、自分の使命だと思っている」
船村は常々、こう語る。船村の一年は、9月の高野の祥月命日の墓参りから始まる。没後60年の今日まで、それが変わることはない。
日本人は信義を貴び、友情に厚い民族である。故郷を愛し、家族と相和し、古い良いものを大切にする。温故知新の賢明さも持つ。しかし、船村の高野を追悼する思いの熱さは、一個人への友愛に止まってはいない。船村が高野から受け継いでいるものは、日本人としての身の処し方から歌づくりまでの、独特の美学であり、特異な美意識なのだ。
功なり名遂げた船村徹83才(平成27年現在)の胸中に今も揺れているのは、「24才の別れ」の痛恨と「わずか7年の交友」で体得した全人生そのものなのだ。だとすれば彼が紡ぎ出したおびただしい数のヒット曲の核にあるものは「愛」であり「祈り」だろう。彼の作品が日本人の心を打ち、外国の人々の心にも通じるのは、彼が日本の歌、つまりは日本のソウルミュージックの稀有の書き手であり、作品に「祈る」心の熱さが託されているせいだろう。